雉岡城 kijioka-castle 埼玉県本庄市児玉町八幡山

南ノ郭/櫓台?/水堀跡(左列)
南ノ郭の土塁/東ノ郭の土塁から水堀跡を見る/児玉高校のグランドが東ノ郭跡・校舎の建つところは北ノ郭跡(右列)


攻城年月日
2008/11/10


【構   え/歴   史】※案内板参照
雉岡城は、別名八幡山城とも呼ばれ、戦国時代に山内上杉氏の居城として築かれたが、地形が狭いので、上州平井城に移り、当城には家臣の夏目豊後守定基を置いて守備させた。永禄年間には北条氏邦によって攻略され鉢形北条(鉢形城)の属城となったが、天正18年(1590)に豊臣秀吉による小田原攻めの際、前田利家によって攻囲され落城した。同年8月徳川家康の関東入国後、松平家清が1万石の格式を受けて領主となり居城としたが、慶長6年(1602)三河国吉田城に転封となるにともない廃城。

photo:あられ


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