別名 |
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築城年代 |
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永享10年(1438) |
縄張・種別 |
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梯郭式/崖端山城 |
築城者 |
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上杉憲実 |
遺構 |
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石積・堀・土塁 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2004/3/21 |
【歴 史】
永享10年(1438)に勃発した「永享の乱」際し、ときの関東管領・山内上杉憲実が築城した。(他の説もあり)
応仁元年(1467)上杉顕定は越後の守護職にあった上杉房定の二男に生まれたが、14歳のとき足利幕府の命で平井の山内上杉家を継ぎ関東管領に就任した。
「平井は京に次ぎ鎌倉をもしのぐ繁栄を極めた」と賞賛されるほどの偉業を成し遂げた名君であったという。
永正6年(1509)、先に越後守護の弟・房能が殺害されたことに怒った顕定と憲房は、謀反人の長尾為景打倒のため関東在の武士8000を率いて越後に向かい、為景を越中富山から佐渡へと敗走させ越後の2/3を回復したという。
天文21年(1552)後北条氏に攻められ落城するまで山内上杉氏の居城であった。
7代85年間関東管領府となり、永禄3年(1560)廃城。
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