edo-castle photo :

桜田門−皇居外苑
 大手門−二の丸 本丸界隈 ぐるっとお濠
桔梗濠と大手濠の間が大手門前(写真上)。

大手門は城の正面に位置する門で、「追手門」ともいうのは、敵を追いつめる方向にあるからだ。
たとえば、ろう城戦になった場合、大手門に戦闘を集中させ敵をやっつけるのが目的。
なので、威圧感のある大きな門構えに桝形備え、切込ハギの巨石で石垣を築く。

江戸城大手門は、一の門の高麗門(写真中)と二の門の渡櫓(写真下)が一対になって枡形を形成しているのは「桜田門」と同じ。



■高麗門
2本の支柱上に切妻屋根を置き、主になる柱の後ろに控えの柱を立てて、支柱と控え柱の棟行きと直角に小さな屋根を乗せたもの。
一の門として枡形造りに多く使われる。

■渡櫓
城門の左右の石垣城に多聞(渡櫓)をかけた二階になっている門。
高麗門とセットで二の門として造られる。
大きな石垣に急な坂が特徴の、三の丸から二の丸への入口に当たる中の門跡

さすが御三家の尾張・紀州・水戸の諸候もここで駕籠を降りる習わしになっていたとか。

一般に切込ハギの勾配は
360°×1/12=30°
である。

白い石は花崗岩で「白御影」といい、鉄分の含有はなく、銅を含んでいる。
小豆島から産出された。
3代将軍家光が寛永13年(1636)小堀遠州に造園させた二の丸庭園は、「築山泉水回遊式庭園」である。

諏訪の茶屋(写真上)は、11代将軍家斉ときに吹上に創建された。
昭和43年(1968)、二の丸庭園復元工事に伴ない移築。

四季折々の草花が美しい。
「番所」とは警備担当者の詰所。

同心番所では登城してくる大名の供侍の監視をしていた。
鉄砲百人組の詰所が百人番所
大手門は甲賀組・根来組・伊賀組が警備し、各組100名づつが所属していた。
大番所は百人番所より格上の同心や与力の詰所。
photo:シリウスさん


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