江戸城 edo-castle |
東京都千代田区千代田 1-1 |
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年表
康正元年(1455) |
太田道灌24歳のとき父の家督を継ぎ、扇谷上杉の家宰となった。
長禄元年 (1457) 江戸湾に面したこの千代田の地に築城。 |
文明18年(1486) |
道灌の死後、扇谷上杉氏の家臣曾我祐重が城代となる。
ついで、扇谷上杉朝義が入城。 |
大永4年 (1524) |
上杉朝興は北条氏に敗れ、川越へ逃れる。
北条氏は宿老の富永氏と遠山氏に城代を任じた。 |
天正18年(1590) |
豊臣秀吉の命により、徳川家康が関東に入封。 |
文禄元年 (1592) |
築城工事を開始。 |
慶長年間 (1596〜1614) |
二度の大改修。 |
寛永年間 (1624〜1643) |
3代将軍家光による大拡張工事を経て、寛永13年に完成。
江戸幕府の本拠地となる。 |
慶応4年 (1868) |
開城。 |
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別名 |
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千代田城 |
築城年代 |
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長禄元年(1457) |
縄張・種別 |
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螺旋式/平城 |
築城者 |
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太田道灌 |
遺構 |
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富士見櫓・巽櫓・数寄屋・多聞櫓・伏見櫓・西の丸多聞櫓
・西の丸大手門・外桜田門・平川門・桔梗門・大手高麗門
・石垣・堀 etc |
復原 |
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復元=清水門渡櫓・田安門渡櫓・大手門渡櫓 |
国指定 |
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特史 重文=田安門・清水門・外桜田門 |
攻城年月日 |
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2003/春 |
【歴 史】
長禄元年(1457)太田道灌が築城。
文明18年(1486)道灌が没すると、扇谷上杉氏の家臣である曾我祐重が城代となり、ついで扇谷上杉朝良が入城。
大永4年(1524)上杉朝興は北条に破れ、武蔵国(埼玉県)川越に逃れる。北条は宿老の富永氏、遠山氏に城代を命じた。北条の城となったが、あくまでも小田原城が本城なので、ここ江戸城は一支城に過ぎなかった。
天正17年(1589)豊臣秀吉の関東進出に備え多少の修理が行われた。
天正18年(1590)秀吉の大軍が攻めてくると、留守居の遠山景政は徳川家康の開城勧告を受け降伏し、浅野長政が一時預かった。この時点で秀吉より関東移封の内命を受けていた家康は同年江戸入り、ここで江戸城の主としての太田、上杉、北条の時代が終焉をつげた。
家康入国当時の江戸は、現在の日比谷から丸の内近辺まで入江が入り込み、日本橋、銀座は浜辺となっていて、茅葺きの小さな家が散在する貧しい漁村であった。
関東の一大名に過ぎなかったので、秀吉に遠慮をして応急処置で間に合わせ、その後天下を手におさめてから本格的な築城を始めた。
面積40倍。明治維新まで278年間徳川の居城となる。
約40年かけて完成した徳川の大城郭は、東西約5km・南北約3.9kmにもおよんだ。
太田道灌築城比40倍の広さだったという。
慶応4年開城。
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photo:荒賀源外さん(左) |
photo:あられ(中) |
photo:シリウスさん(右) |
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