edo-castle photo :

桜田門−皇居外苑
 大手門−二の丸 本丸界隈 ぐるっとお濠
桜田濠と凱旋濠の間を通り桜田門より皇居外苑に入る。

桜田・高麗門(写真上)と桜田・渡櫓門(写真下)が直角に組み合わさった「枡形(ますがた)」造りで、江戸城の見附の形がよく解る。

万延元年(1860)3月3日、大老井伊直弼が水戸浪士に襲われた「桜田門外の変」は高麗門の前での出来事だ。
記念撮影をするところが二重橋前の広場。

奥にある鉄橋が二重橋
昔は木の橋で濠が深いため、橋ゲタの下にもう一段橋ゲタがついていたのが名の由来。

現在、宮内庁は石橋(写真下)と鉄橋2つの橋の通称として「二重橋」としている。
石橋を渡ったところが二重橋門
皇居正門となっている。

運がいいと皇宮警察護衛官の交代式が見られるかも。
二重橋ごしに見えるのは伏見櫓・同多聞櫓
京都の伏見城から移築されたと伝えられる。

伏見城は慶長5年(1600)関ヶ原の合戦の折り、甲賀武士300名が徳川軍の救援に駆けつけた城。
その戦功に報いるため、のちに編成された甲賀組は、江戸城本丸と大手三門の警備を任された。
西の丸造営に際し新たに設けられたのが坂下門
皇居通用門として使用されている。

文久2年(1862)正月、老中安藤正信が水戸浪士に襲撃された「坂下門外の変」が起こったところ。
(「桜田門外の変」は2年前)
ちなみに、駕籠の回りを固めていた武士のおかげで正信は軽症だった。
別名内桜田門ともいう桔梗門は三の丸への南門で、幕府の要職者が登下城していた。
現在は一般参賀や皇宮警察や職員・関係者が利用している。

太田道灌の紋である桔梗が屋根瓦についていたというのが名の由来。
道灌の「泊船亭」がこの辺りにあった。
桔梗濠に面し、桔梗門の並びにあるのが巽櫓(桜田二重櫓)。
2層の造りで石落しがある。

江戸時代には城内に20基の櫓があったという。
photo:シリウスさん
photo:あられ(二重橋)


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