岡豊城 okou-castle 高知県南国市岡豊町八幡

城址の碑/三ノ段曲輪土塁(左列) 枡形虎口/堀切跡(右列)


攻城年月日
2012/吉日


【構   え】
本城の曲輪と2つの出丸で構成され、山頂の本丸跡は平坦地で、崩れた塁壁が残存。二の丸跡は土塁で囲まれ、虎口の石垣や井戸が残る。本丸の西下に3段、4段の土塁があり、出丸に土塁と3重の空堀がある。

【歴   史】
13−14世紀、秦能俊の築城という。秦氏は後に長宗我部氏を称す(信濃秦氏の一族であったが、土佐国長岡郡宗部郷=宗我部郷の地頭となった)。長宗我部氏の本城であり、永正5年(1508)元秀のとき、本山梅慶(茂宗)ら周辺諸豪族が攻め寄せ、落城。10年後、一条家(藤原五摂家一条家の分家)の斡旋で長宗我部国親が岡豊の本城に復帰。跡を継いだ長宗我部元親は本山氏を打倒後、永禄12年(1569)安芸国虎(安芸城)を滅ぼし、天正2年(1574)に中村城の一条氏を討ち、同3年、土佐を統一した元親は、阿波、伊予、讃岐へ侵攻。同13年四国を制覇したが、同年、豊臣秀吉と戦って破れ、土佐一国を安著された。天正16年(1588)、大高坂山(高知城)へ移り、廃城となる。


memo
長宗我部氏の本城だけあって規模は大きく、遺構も多く残ってる。詰曲輪の礎石を元に組まれた仮櫓は期間限定。

photo:ばつまるさん


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