□筋違城門跡と見附塹壕・西城
金山城主要部分の一つで本城より西の尾根伝いにある面積の広い城郭。
金山城主由良(ゆら)氏の一族である矢田堀領主、泉伊予守が居城したため泉氏は西城殿とも呼ばれた。
眺望がよく新田郡方面が見渡せるので、天正12年の金山城攻防戦では、馬を引き出して米で水洗の様をし、また西南方面に塀をめぐらせ壁塗とうのパフォーマンスで、水が豊富にあるゾ!と敵に見せつけた。
金山城開城後は西上州の高山遠江守が在城。
□西矢倉台堀切
西城から実城(本丸)までの間に4つある堀切うち一番西寄りにある。
当時は掘底に石を敷いて通路として利用され、北側からの敵を防ぐために柵が設けられていたと思われる。
□馬場下通路
物見台下土橋から竪堀までの間に石敷きの通路が発見された。
この通路は、防御上、土橋から見渡せるように曲がった通路となっている。
通路は、竪堀にかかる木橋方面と、堀底へ下りる階段とに分岐する。
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