□旧箱根街道
慶長9年(1604)江戸幕府が整備した五街道のひとつ東海道(江戸−京都)のうち、小田原宿と三島の間を結ぶ標高845mの箱根峠を越える箱根八里(32km)の区間。
山中城は箱根の関所と三島宿のほぼ中間にある。
□出丸御馬場跡付近
古くから御馬場跡といわれ、土塁で東と北を守り、西は深い空掘続き、南は急な谷で囲まれた岱崎出丸最大の曲輪であった。
□岱崎出丸一の堀
先端のすり鉢曲輪から城郭西側の中腹を、旧箱根街道までの150m間に17の畝が確認された。
ローム層を掘り下げて畝を残し、70度前後の傾斜角度で立ち上がっていて、底堀からすり鉢曲輪の土塁まで斜距離18〜20mとかなり急な勾配がつく。(写真=すり鉢曲輪の方から旧箱根街道方向に向けて撮影)
□岱崎出丸
標高547〜557m、面積20,400uに及ぶ広い曲輪で「岱崎城」と呼ばれることもある。
□すり鉢曲輪
出丸の最先端を防備する重要な位置にあり、他の曲輪と違い凹型に中央部を低くしてある。
|
|