□天守櫓跡
標高586m、城郭中一番高い場所にある。
基壇(天守台)は一辺が7.5mの方形、盛土により50から70cmの高さに構築され、周囲に幅の狭い帯曲輪のような通路が一段低く設けられている。
井楼、高櫓が建てられていたと推察される。
□本丸堀と二の丸櫓台
本丸と二の丸(北条丸)間の本丸西堀は、土橋により左右に二分されている。
北側の堀止め斜面には薬研堀(V字状)、南側は畝により8区間に分けられ、途中屈折して箱井戸への堀に続いている。
□兵糧庫跡・弾薬庫跡
中央を走る幅50cm・深さ20cmの溝は排水溝とみられる。
硯・杯・甲冑片・陶器とうが出土した。
□宗閑寺の武将の墓
山中城落城の際、北条軍・豊臣軍の武将の碑がある。
北条方の将、間宮豊前守康俊兄弟とその一族、城主松田右兵衛太夫、上野国(群馬県)箕輪城主多米出和守平長定とうとともに、豊臣方の将、先鋒一柳伊豆守直末の墓が並んでいる。
|
|