龍岡城 tatsuoka-castle |
長野県南佐久郡臼田町田口 |
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陵保式縄張
函館五稜郭・函館四稜郭・戸切地陣屋(旧松前藩)・田口陣屋(信州大給藩)・品川台場(東京港区)がある。 |
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枡形・城の入口/堀T/台所櫓(左列)
大手門/堀U(右列) |
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年表
文久2年(1862) |
8月/幕府、参勤交代制を緩和、大名は3年に1回府、在府日数は≒100日とし、大名の妻子を帰国させることを許可。 |
文久3年(1863) |
1月/三河国(愛知県)奥殿(おくどの)藩主大給松平乗謨(おぎゅうまつだいらのりかた)、大番頭に就任。信濃国(長野県)へ国替え内定。
4月/国替え正式許可。
6月/新領地田口野に築城方針を立てる。
7月/乗謨、若年寄に就任。
9月/五稜郭の模型完成。 |
元治元年(1864) |
3月/縄張りを行う。 |
慶応元年(1865) |
4月/新陣屋表門の斧はじめ。
5月/地鎮祭。 |
慶応2年(1866) |
6月/乗謨、老中格となる。
12月/城郭完成。 |
慶応3年(1867) |
4月/御殿完成、移転。 |
規模
堀幅 |
4間(7.24m)※大手門前5間(9m) |
堀延長 |
375間(678m)※大手門から反対側角の先端まで193間(168m) |
形 |
陵堡形(星型) |
総工費 |
40,000両(箱館五稜郭の半分以下)※現在の貨幣価値? |
築城当時の建物 |
御殿(広間・表御殿・書院・居間・納戸・台所)・練兵場・・砲台・大手門・通用門・穴門・橋(それぞれの門へ) |
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別名 |
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田口陣屋 |
築城年代 |
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文久3年(1863) |
縄張・種別 |
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単郭/フランス流陵堡式城塞 |
築城者 |
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大給松平乗謨 |
遺構 |
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台所櫓・堀・石垣・土塁 |
復原 |
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国指定 |
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史跡 |
攻城年月日 |
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2003/8/15 |
【歴 史】
三河国(愛知県)奥殿(おくどの)藩主大給松平乗謨(おぎゅうまつだいらのりかた)は、蘭学者であり、幕府お召のフランス仕官より西洋事情を学び秀才であった。28歳で陸軍総裁職から老中格へと出世する。このころ、箱館五稜郭が建設中で完成が近づくにつれ大いに刺激された。
元治元年(1864)箱館の五稜郭完成、その規模は周囲3.455m・総面積は17.8602uにおよんだ。
文久3年(1863)、乗謨は、居城を田野口に移し、「竜岡藩」をたてた。
1万6千石の譜代であったが、無城主大名なので城を持つことを禁じられていた。そこで、「陣屋づくり」で堀を狭くし、単郭陵堡形という星型の陣屋が、箱館五稜郭建設中の文久3年(1863)に計画され、わが国2つ目の(2つしかないが...)陵堡式陣屋の建築がはじまった。
箱館五稜郭に続き慶応3年(1867)に完成。
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photo:あられ |
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