別名 |
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深山城・霞の尾城 |
築城年代 |
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応永年間(1400) |
縄張・種別 |
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---/山城 |
築城者 |
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大井氏または芦田氏 |
遺構 |
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郭跡・櫓台・堀切り |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2004/8/15 |
【歴 史】
応永年間(1400)室町時代中期に大井氏または芦田氏(依田氏)により築かれた。
その後、佐久岩村田大井の庄、大井氏の親類衆が長くこの地を支配し、長窪氏を名乗った。
天文12年(1544)9月、城主であった大井貞隆は、甲斐の武田信玄に攻められ捕らわれの身となり、以後は武田氏による北信濃進出の重要な拠点となる。
同17年(1549)9月、信玄は長窪城に着陣のあと、坂城の葛尾城主・村上義清を攻撃、「上田原の合戦」となる。
同19年(1550)2月、当城より重臣を2回にわたり村上方の戸石城偵察に出し、「戸石の合戦」となる。
同22年8月、着陣のあと和田城・高鳥屋城・塩田城を攻め落とす。
天正10年(1582)武田氏が滅亡すると小県一帯は真田昌幸の領地となり、同11年昌幸が上田城を築いて輩下の武田武士を上田城下に集めたので長窪城は廃城となった。
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