別名 |
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尼ヶ淵城 |
築城年代 |
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天正年間(1573〜92) |
縄張・種別 |
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---/平山城 |
築城者 |
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真田氏 |
遺構 |
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櫓3・石垣・堀 |
復原 |
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東虎口櫓門 |
国指定 |
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史跡 |
攻城年月日 |
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【歴 史】
群雄割拠の初期上田の隣、小県(ちいさがた)に勢力があった土豪小泉氏が支城を築いた。
天正年間(1573〜92)当時は甲斐国武田家の客将であった真田氏が本格築城した。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦で中仙道を通る徳川秀忠軍を翻弄し、関ヶ原上田編では大勝利するが、西軍が負けたので、真田昌幸・幸村父子は紀州九度山へ流されが、城自体は幕府にとって、過去にも徳川軍を負かしているので、好ましからざる城と目される。
元和8年(1622)一時徳川側についた長男信之に託されていたが、松代へ転封されると仙石忠政が入城。
宝永3年(1706)松平(藤井)忠周が入城、松平160年の治世となる。
遺構としては、400年の歴史ある堀、3基の櫓が現存。
中でも西の櫓は旧状を保っている。
一帯は城址公園となり、一角には「上田市立博物館」がある。
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