別名 |
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本多城 |
築城年代 |
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天文年間(1532-55) |
縄張・種別 |
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輪郭式/平城 |
築城者 |
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神戸具盛 |
遺構 |
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門・本丸跡・石垣・堀 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2011/吉日 |
【歴 史】
伊勢平氏の子孫関氏の一族神戸氏は、南北朝時代(14世紀)飯野寺家町の地に城を築いたが、戦国時代の天文年間に「神戸城」を築き移った。
神戸氏7代目の友盛は、北勢に威を振るったが、織田信長軍の侵攻により永禄11年(1568)その3男、信孝を養子に迎え和睦した。
信孝は、天正18年(1580)金箔の瓦を用いた五重の天守閣を築いた。しかし、本能寺の変の後、岐阜に移る。翌年、羽柴秀吉と対立して、知多半島で自刃し、文禄4年(1595)、天守閣は解体され桑名城へ三重櫓として移築。「神戸櫓」と呼ばれた。この地には江戸時代を通じて石垣だけが残された。
関ヶ原合戦後、一柳直盛が封ぜられたが、寛永13年(1636)伊予西条に転じ、以後は天領とされ城は破却。享保17年(1732)本多忠統が入封。陣屋住まいをしていたが、延享3年(1746)幕府の許可を得て築城。多氏の治世は7代、140年間続く。
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