別名 |
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築城年代 |
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延元3年(1338) |
縄張・種別 |
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梯郭式/山城 |
築城者 |
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毛利時親 |
遺構 |
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土壇・曲輪跡・堀切 etc... |
復原 |
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国指定 |
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史跡 |
攻城年月日 |
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2004/11/5 |
【構 え】
標高は390m。城の遺構は、山頂本丸曲輪群を中心に放射状にのびる6本の尾根、さらにそこからのびる支尾根、あわせて12本の尾根と谷を曲輪や道で有機的に結合させ、まとまりをもたせた複雑な構造となっている。
曲輪は大小あわせて270段以上みられる。
【歴 史】
延元3年(1338)地頭であった毛利時親が中世に城を築き、吉田を本拠とする吉田毛利が誕生した。
大永3年(1523)本家を継いだ元就が12代として猿掛城から入城、規模を拡大し全山を堅固な要塞とした。古図には3層の天守が描かれているといい、38櫓ともいわれた。
その後、輝元が広島城へ移転となり、吉田郡山城は廃城となる。
元治元年(1864)浅野長厚が入り、山すそに居館を構えたが、のちに広島の本家に合併された。
【攻城記】
ここまで毛利の諸城を攻めてやっと吉田の郡山城です。
山城ですが規模は大きく、井戸や郭の配置に新高山城と似たものを感じます。
ひょっとしたら隆景は郡山城を参考にして新高山城に縄張りしたのかも?
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