浦戸城 urado-castle 高知県高知市浦戸




城址の碑/斜面にある石垣と思われる石(左列)
天守台の祠(右)


攻城年月日
2012/5月


【歴   史】
桂浜の背後の高台に築かれた平山城?。
鎌倉時代末期から南北朝時代に築かれた土豪の城である。天文年間(1532-53)に本山梅慶が砦を構築。永禄3年(1560)、長宗我部氏に攻められ落城。長宗我部国親は一族の親貞を城将とした。天正16年(1588)、長宗我部元親岡豊城に代わる本城を浦戸城とするため、築城を開始、同19年に入城した。
関ヶ原合戦後、長宗我部氏は滅亡。新藩主として山内一豊が入る。慶長8年(1603)、完成した高知城へ移り、浦戸城を廃した。


【天守跡】※案内板より
現在地は浦戸城詰ノ段北東隅に位置する、中世の山城としては珍しい天守跡である。天守跡は詰ノ段よりも7M高く、いびつな台形である。上部は東西11M、南北15Mで城八幡・大山祇の二つの小さな祠がある。天守跡の斜面には石垣の残りと思われる石が露出している。
なお、北斜面は昭和33年(1958)の展望台造成工事でその一部が削り取られている。松野尾章行著の『皆山集』に揚げる「浦戸城古城略図」には「五間四方」の天守跡が描かれているが、その広さや造築された時代から長宗我部元親の築いた天守は三層であったと思われる。なお、元親が築城した浦戸城以前の城郭である豊岡城には、まだ天守は出現していない。



memo
石垣以外これと言った障壁があった様子も無く、城と言うよりは砦と言った方がよい小さな城跡。

photo:にゃごりんさん


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