月山富田城
gassantoda-castle
島根県安来市広瀬町富田

山中鹿之介
月山富田城主尼子氏の重臣。
花の壇
本丸への中腹にあり山中御殿の北西に建てられた侍所。重要な曲輪であった。

山中御殿跡/二の丸跡/花の壇跡(左列)
三ノ丸石垣/本丸跡(右列)


別名 --- 築城年代 保元・平治(1156-1160)
縄張・種別 ---/山城 築城者 平景清
遺構 曲輪跡・井戸・石垣・空堀
復原 花の壇
国指定 ---
攻城年月日 2008/早春


【構   え】
中海にそそぐ飯梨川が山佐川と合流するあたり、飯梨川東岸の丘陵に築かれている。月山は標高184mだが、険しい独立峰。

【歴   史】
保元・平治のころ(1156-1160)、平景清(藤原景清=平家に仕え壇ノ浦で捕らえられた勇猛な武士・各地に景清伝説あり)により築城されたという伝承がある。文治元年(1185)、出雲守護の佐々木義清が居城。応永年間(1394-1427)に佐々木氏の一族である尼子持久が守護代として入城。尼子経久の代に出雲の守護職となる。このとき城を修改築。ここを拠点とし中国地方8ヶ国を領有。一時は主筋の守護京極氏により城を奪われるが、文明18年(1486)奪回して、名実ともに月山富田城の城主となる。永禄9年(1566)には毛利氏に攻められ、兵糧攻めにあい落城。当代の尼子義久は降伏した。その後、毛利方の城代が4代にわたり居城。
慶長5年(1600)堀尾吉晴が入封。吉晴は同11年、新たに松江城を構築し移った。廃城となる。元和元年(1615)一国一城令により破却された。

photo:ばつまるさん


Back
Home