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寿福寺  英勝寺  八坂神社  巽神社  浄光明寺

寿福寺 [jufukuji]...国指定史跡
正治2年(1200)に源頼朝の夫人政子が、明庵栄西禅師を開山として建てた。この地は、もと頼朝の父義朝の館があったといわれ、鎌倉入りした頼朝はここに館を造ろうとしたが、岡崎義実(相模・岡崎城)が義朝の菩提を弔うお堂を建てていたのでとりやめたといわれる。墓地の「やぐら」には、源実朝・北条政子の墓と伝わる五輪塔が2基ある。
鎌倉市扇ヶ谷1-17-1【2005/4/10・7/16】


山門・十二支を刻む蟇股をめぐらした仏殿・庭園の五輪塔-左列-  唐門・袴つきの鐘楼-右列-

英勝寺 [eishoji]
現在鎌倉では唯一の尼寺で、寛永年間に水戸中納言頼房の養母・英勝院がもと太田道灌の屋敷跡だった地に建てた。「寶珠殿」と呼ばれる仏殿には徳川三代将軍家光が寄進した運慶作の阿弥陀三尊如来像を安置する。伽藍の建築様式は、他の鎌倉諸山と異なり、室町末期桃山系統を象徴する江戸初期のもの。

鎌倉市扇ヶ谷1-16-3【2005/7/16】

八坂大神 [yasaka-daijin]
建久3年、千葉介常胤の二男・相馬次郎師常が邸内に守護神として勧請したのが始まりで、その後この地に奉還する。「相馬天王」と称する。師常は源頼朝が挙兵すると父や兄弟と共に仕え、平家討伐や奥州へも出陣した。
鎌倉市扇ヶ谷1-14-45【2005/7/16】

巽神社 [tatsumi-jinjya]
祭神は奥津日女命・奥津日子命・火産霊命で竈(かまど)の神、火の神。
延暦20年坂上田村麻呂東夷鎮撫の際、葛原岡に勧請したと伝えられる。永承4年に源頼朝が社殿を改築。その後現在の地に遷座され、古くは寿福寺の鎮守神として崇敬された。寿福寺の巽の方角にあるので「巽荒神」と称された。
鎌倉市扇ヶ谷1-9-7【2005/7/16】

浄光明寺 [jyoukoumyouji]
泉谷山浄光明寺と号し、開山は真聖国師真阿、開基は6代執権北条長時で慶長3年(1251)に創建された。

左の仏殿はもと本尊の阿弥陀三尊像を安置していたことから阿弥陀堂と呼ばれている寛文8年(1668)旧仏殿が大破して、その位置さえわからなくなっていたが唐様建築で再興された。
鎌倉市扇ヶ谷2-12-1【2005/7/16】

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