相模・岡崎城 okazaki-castle |
神奈川県平塚市岡崎
伊勢原市岡崎 |
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城址の碑/左富士の名所T(左列) 城跡に建つ無量寺/左富士の名所U(右列) |
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左富士の名所
上の写真は関東でも珍しい「左富士の名所」だ。場所は茅ヶ崎市湖南の鳥井戸橋の袂。東海道では静岡県の吉原が有名。右下の写真はお天気がよく富士山が美しい。
※城址から15kmくらい離れている。
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別名 |
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築城年代 |
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鎌倉時代末期 |
縄張・種別 |
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---/平山城 |
築城者 |
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岡崎義実 |
遺構 |
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曲輪跡・土塁・空堀 etc |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2004/1/1・05/1/3 |
【歴 史】
平安時代の末、三浦大介義明の末弟・岡崎四郎義実によって築かれた。
義実は源頼朝に仕えた鎌倉幕府創立の功で、その嫡子・余一義忠を岡崎城の西方・真田城に置き、義忠は「真田」姓となるが治承4年(1180)石橋山合戦で討ち死に、義実は「悪四郎」と呼ばれる豪勇の将であった。
明応3年(1494)三浦義同(よしあつ)は養父・三浦時高を滅ぼして、子・義意を三浦の新井城へ置き、自らはこの岡崎城を修築して居城とした。周囲には西海地土腐をはじめとする湿地がめぐり、南は断崖で天下の要害であったという。
天正9年(1512)8月伊勢新九郎(北条早雲)は、伊豆相模両国の兵を集め岡崎城に猛攻撃を加え、遂にこれを陥落させた。義同は弟・道香のいる逗子小坪の住吉城に逃れ、さらに三浦の新井城にこもり、一族とともに滅んだ。
その後は北条氏の持ち城となったと思われるが廃城年は不明である。
【攻城記】
時間がなかったので周囲の散策は出来なかったんだけど、無量寺(城址の後にある寺)の裏手にはかなり大きな土塁が残っていました。他にも空堀跡などが残っているようです。
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photo:荒賀源外さん |
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