別名 |
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築城年代 |
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平安末期 |
縄張・種別 |
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築城者 |
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真田与一義忠 |
遺構 |
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空堀・土塁 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2004/2/7 |
【歴 史】
三浦氏一族の岡崎義実の子・義忠がここ真田の地に築城し、「真田与一義忠」と名乗る。
源頼朝の挙兵に応じるが石橋山合戦で戦死。
義忠の子・盛実が城主となるが和田義盛の乱(和田義盛
Vs 北条氏)で討ち死にし、真田城も廃城となる。
※石橋山合戦 を参照。
【攻城記】
-真田神社-
真田城の近くにあり、鎌倉真田氏の氏神だったようです。
境内にある大きな欅の木の太さから見ても、由緒正しい神社で あることは明白ですね。ただ、この欅の木。裏側はほとんど残っていません。台風か、あるいは落雷で裂けてしまったようです。
-真田神社の鳥居-
文久三年の銘があります。周辺は一面の水田であり、真田氏が かなりのお金持ちだったことが想像されます。
ちなみに向かって左脇の灯篭に立てかけてあるのが私の愛車。(笑い)
-真田城址であることを唯一示す立て看板-
神社とお寺が同じ敷地に同居している珍しい寺社です。
境内にはこの立て看板以外ここが城であったことを示すような、石碑などはまったくありません。(笑い)
-天徳寺全景-
ごらんのとおりなかなか手入れの行き届いたお寺さんです。結構はぶりがいいみたい。私以外にも中年のご夫婦が散策に来ていましたよ。
平地にぽかんと浮き出たような小高い丘の上にあり、西側は
かなり急峻ながけになっています。
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