仙台城 sendai-castle 宮城県仙台市青葉区


伊達政宗の銅像・月形の飾りはあまりにも有名/仙台の街とshing02さんとバンドのみなさん(上)
本丸から市街を臨む(左)
復元隅櫓/中ノ門の石垣(下)
瑞鳳殿
手前「善応殿」、向こう「感仙殿」
感仙殿・二代藩主伊達忠宗公の霊屋
善応殿・三代藩主伊達綱宗公の霊屋
ともに戦災で焼失、昭和60年再建
うー、戦争のばか〜


別名 青葉城 築城年代 慶長5年(1600)
縄張・種別 ---/平山城 築城者 伊達政宗
遺構 土塀・石垣・堀・土塁
復原 復元=二の丸隅櫓
国指定 ---
攻城年月日 ---


【構   え/歴   史】
天正18年(1590)、小田原攻めに遅参したため、豊臣秀吉に旧領のを召し上げられ、米沢城(山形県)から新封地の岩出山城(宮城県玉造郡)へと移った。
しかし、岩出山城が北西寄りで狭小だったため、所領のほぼ中央に位置する青葉山に新城を築こうと決め、慶長5年(1600)関ヶ原合戦直後に徳川家康の許可をもらう。ここはかつて国分氏の城のあったところで「千代(せんだい)」呼ばれ、深い谷や断崖絶壁、曲流する広瀬川により山すそを画されており、ほとんど完璧な天然の要害であった。
慶長7年5月に完成、翌年入城し地名を「千代」から仙人の住む岡のように、城が永く栄えることを祈り「仙台」と改称した。
本丸に天守は置かず、かわりに桃山文化の粋をあつめたという絢爛豪華な大広間を構築。大手門は朝鮮出兵のとき滞在した肥前名護屋城の大手門を秀吉より拝領し移築したもの。
また、政宗は城下町を軍事的には致命的な欠陥となる碁盤目状にしてひとびとを驚かせた。
寛永16年、2代藩主・忠宗が山麓に二の丸を築造。
伊達氏が13代260年在城。

【資   料】
-瑞鳳殿-

「寛永13年70歳で生涯を閉じた伊達正宗公の霊屋である瑞鳳殿は、公の遺命によりその翌年経ヶ峯に造営されました。
瑞鳳殿は、桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛たる廟建築として昭和6年国宝に指定されましたが、昭和20年の戦災で惜しくも焼失しました。
現在の本殿は昭和54年に再建されたものです。」
だ、そうです。

photo:shing02さん(上2葉)
photo:シリウスさん(下4葉)


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