多和目城 tawame-castle 埼玉県坂戸市多和目城山

城山南側の崖下を流れる「高麗(こま)川」の1号堰魚道
/案内板は山頂の城山配水地フェンス内にあり読むのは極めて難解不落(左列)
標高113.4mの城山北側の入口/通路の両側に土塁ありこの先は崖で行き止まり(右列)


別名 大かけ(崖)城 築城年代 中世と思われる
縄張・種別 長方形二段構築/山城 築城者 ---
遺構 空堀・土塁
復原 ---
国指定 ---
攻城年月日 2004/10/15


【構   え/歴   史】
城山は坂戸市内最高地点113.4mに位置し、南に高麗川が流れ、川に面して断崖になっており、登り口のある北側は以前は湿地で「菖蒲沢」(勝負沢)と呼ばれていた。
天然の要害の地にあり、城山は空堀や土塁で囲まれていた。
記録がなく詳細不明だが、城主は浅羽氏(浅羽城)・宿谷氏・後北条氏とう諸説があり、江戸時代に書かれた文書には「大かけ(崖)城」と呼ばれ、川越城主が攻めた、と記されているそうだ。

配水地を造る際の発掘では、城に伴なう柱穴列が発見(確認不能だった)、また、縄文中期の住居跡も発見された。

photo:あられ


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