川越城 kawagoe-castle 埼玉県川越市郭町 2-13-1

本丸御殿/田曲輪門跡(左列) 御殿内の表廊下/富士見櫓跡(右列)

本丸御殿
現在の建物は、嘉永元年(1848)ときの城主松平大和守斉典(なりつね)が造営したもので、大唐破風造りの玄関、大広間、櫛形(くしがた)塀を残す。
川越藩が17万石を有したときの主要部分で、県内唯一の城郭建築の遺構として貴重なものだ。
富士見櫓
築城当初、本丸西南隅櫓として建てられた3重の櫓、城内でもっとも高い場所にあったので天守の代わりとして用いた。


別名 初雁(はつかり)城 築城年代 長禄元年(1457)
縄張・種別 ---/平山城(沼城) 築城者 太田道真・道灌
遺構 本丸御殿広間・玄関・土塁・空掘
復原 ---
国指定 ---
攻城年月日 2003/8/31


【歴   史】
長禄元年(1457)関東管領の扇谷上杉持朝(もちとも)が古河公方足利成氏に対抗する拠点として、太田道真・道灌父子に築かせた。
天文6年(1537)騒乱に明け暮れる中、小田原に本拠を置く北条氏の手に落ちたが、同15年(1546)奪回を図った上杉氏は、北条軍の奇襲攻撃にあい、大敗して上野に逃れたため北条氏の支配が決定的となり、周辺の旧上杉氏領を次々直轄地に取り込み、城代として重臣の大道寺氏を配した。
この間、上杉氏6代、北条氏4代の持城となる。
天正18年(1590)豊臣秀吉の関東攻略で、前田利家軍に攻め落とされる。
徳川家康関東入封後は、譜代・親藩大名が居城とした。
寛永15年(1638)逐次城郭は整備拡張されてきたが、”智恵伊豆”として名の知れた松平伊豆守信綱が城主となってからますます増築され、8郭・3櫓・12門を備え、江戸の防備の要として役割を果たした。
彼は他にも、川越街道の整備・新河岸川の開削を行い江戸との舟運を図り、物資を江戸へ供給することに尽力し、大いに商業の発展に寄与した。

photo:あられ


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