高見城 takami-castle 埼玉県比企郡小川町四ツ山1008外


城址の碑と四津山神社参道/犬走り(左列)
本郭へ続く女坂/四津山神社の建つ本郭/本郭からの遠望(右列)


攻城年月日
2008/10/16


【構   え/歴   史】※案内板参照。
高見城址は、町の北東部にそびえる独立峯・四津山の頂上に築かれた中世の典型的な山城。城址からは、北は荒川流域一帯、南は市野川筋を一望できる要害の地に築かれている。市野川筋には「旧鎌倉街道上道」が走り、戦国時代、鉢形城武蔵_松山城の中間にあって、街道を押さえる重要な役割を果たしていたと考えられる。
城址は細長い尾根を巧みに利用し、四津山神社の建つ本郭と北に連なる3つの郭によって構成され、それぞれの郭は土塁と堀切によって画されている。
本城の築城年代や城主については不明な点が多いが、「新編武蔵風土記稿」では長享元年(1487)に没した増田四郎重富の居城と伝えられている。また、長享2年(1488)及び延徳3年(1491)の2度にわたり、城の北東方向の高見ヶ原において、山内上杉氏による激しい合戦が繰り広げられたという。
天正18年(1590)豊臣秀吉の関東平定の際に近隣諸城とともにその役割を終えた。

【攻城記】
神社の参道を登って行くと急で長い石段が...全精力を使い果たし、なんとか本郭までたどり着いたものの、心臓ばくばく、息絶え絶え。よって、北側の郭は攻略できませんでした。しかも四津山の全景が写っていなかった。(がっくし

photo:あられ


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