小机城 kozukue-castle 神奈川県横浜市港北区小机町

本丸と二の丸を分ける空掘/二の丸跡は縄張り地図が残っておらず推定(左列)
櫓台跡は昔はもっと高かった/二の丸から本丸に向かう空掘(右列)


別名 --- 築城年代 ---
縄張・種別 ---/平山城(丘城) 築城者 ---
遺構 曲輪跡・空堀・土塁
復原 ---
国指定 ---
攻城年月日 2004/1/25


【歴   史】
古い時代の詳細は不明であるが、鎌倉時代この地方に小机氏という豪族があったといわれることから、居館か砦があったのではと考えられる。
文明8年(1476)、「長尾景春の乱」で小机城主矢野兵庫助は長尾氏に味方し、扇谷上杉の宰相であった太田道灌に攻められ落城し廃城となる。
有名な話しに、このとき小机城の東北にあたる亀甲山に城を築いた道灌は、自軍の士気を高めるため、
”小机はまず手習いのはじめにて いろはにほへとちりぢりとなる”
と詠んだという。
永正13年(1516)北条氏綱が大修築を行い、城代に小笠原氏を置く。
北条氏による関東制覇の重要な支城として「小机衆」なる精鋭軍団が組織された。
天正18年豊臣秀吉の小田原征伐で、豊臣軍が小机城を攻める前に小田原城が陥落し北条氏は滅亡。小笠原昭重は降伏し城を明け渡した。
その後、徳川家康の関東入りで小笠原氏は旗本となり小机城は廃城となる。

【攻城記】
小机城はまさしく北条の城ですね。
恐ろしく深い空堀と恐ろしく高い土塁。
そして空堀は見事なまでにクランク状に曲がっている。
城域の規模としては、玉縄城どころか大庭城より小さいのですが、なかなか見所満載です。

photo:荒賀源外さん


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