別名 |
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私市城 |
築城年代 |
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縄張・種別 |
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---/平城 |
築城者 |
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太田道灌 |
遺構 |
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堀・土塁 |
復原 |
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天守(模擬) |
国指定 |
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攻城年月日 |
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2003/8/4・2004/8/1 |
【歴 史】
永禄6年(1563)、後北条と武田軍に攻略された武蔵松山城を救援するために、越後国から出張って来た上杉謙信であったが、間に合わず城を奪われてしまった。そこで、謙信は腹いせというか八つ当たり作戦を展開。近くにある後北条の城を物色すると、騎西城にターゲットをしぼり猛攻撃開始。
騎西城の城主小田家時は忍城の成田長泰の弟で、謙信に服していた兄が後北条氏に寝返っていたこともあり、鉄拳制裁の意味もあった。
ぢゃあ、忍城攻めをすれば...って、騎西城の方が手薄なのだ。
問答無用の早業で一気に城内に雪崩れ込み、3千強のひとびとの首をチョンしてしまった。
天正18年(1590)、小田原攻めののち徳川の城となり、松平康重(家康の実子)が入城。
寛永9年(1632)、廃城となる。
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