八王子城 hachiouji-castle 東京都八王子市元八王寺町
下恩方町

城址の碑/古道・大手道/曳橋跡/御主殿虎口/御主殿跡(左列)
大手道にある竪堀/曳橋橋台石垣/御主殿虎口下の石垣/御主殿入口の櫓門跡/山頂にある要害地区(右列)

大手道
地形を利用して復元整備したもので、城山川の対岸にアシダ曲輪・御主殿の石垣・城山の稜線にそって多くの曲輪や建物が見渡せたようだ。
曳橋と橋台石垣
発掘で橋台石垣が発見され、橋があったことが確認された。当時は簡単な橋(曳き橋)をかけ、橋を落とすことで敵の侵入を防いだ。
御主殿虎口
木橋を渡り御主殿まで高低差≒9mを「コ」の字形に折れ曲がった通路。全体で25段、踏面1m、蹴上36cm、幅5m、踊り場2ヵ所。石が敷きつめられているのが八王子城の特徴。
虎口(こくち)とは城や曲輪の出入口、防御と攻撃の拠点でさまざまな工夫をこらしてある。
櫓門跡
最上段の踊り場から4つの礎石が見つかった。両側の石垣の下に敷石より10cmほど高くなっている大きな石で、礎石の間は東西(桁行)≒4.5m・南北(梁間)3.6mあり、側には排水用の石組側溝も発見されている。
御主殿跡
江戸初期の古地図に「北条陸奥守殿御主殿」と記され、城主北条氏照が居住していたところ。≒400年前の築城時に造成、周囲を石垣と土塁で囲んだ長方形の削平地となっていて、東側は敵の侵入に対して厳重に防備するため石垣で造られた虎口で守られている。


別名 深沢城 築城年代 元亀3年(1572)
縄張・種別 ---/山城 築城者 北条氏照
遺構 石塁・土塁・堀切・竪堀
復原 曳橋・櫓門・虎口階段通路・御主殿跡 etc
国指定 史跡/154ha
攻城年月日 2003/8/10


【歴   史】
永禄12年(1569)、北条氏康と上杉謙信が同盟で結ばれると、後北条氏と武田氏の間が決裂状態となり、武田信玄は北条打倒の旗を挙げた。
小田原城への進軍途中、氏照の居城である滝山城(八王子市丹木町)に押し寄せ城方と激しく戦った。
この攻防で滝山城は陥落は免れたものの三の郭まで敵の手に落ち、弱点をさらしてしまうこととなり、山城を築くこととし、小仏峠近くの独立峰深沢山に八王子城を完成させた。
天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原攻めの折り、前田利家と上杉謙信の兵に猛攻撃を受け一日の戦いで落城。
氏照は小田原城にこもっていたため難は逃れたものの、同城が陥落後切腹を命じられた。

photo:あられ


Back
Home