和歌山城 wakayama-castle 和歌山県和歌山市一番町

天守
基礎石垣の上に大天守と小天守に櫓を並べる連立式天守。(内部は歴史資料館)


内堀/3層3階の天守/岡口門(左列)
大手虎口/楠門・多聞櫓・乾櫓(右列)


別名 虎伏城・伏虎山城 築城年代 天正13年(1585)
縄張・種別 ---/平山城 築城者 豊臣秀長
遺構 岡口門・追廻門・掘etc...
復原 復興=大小天守・乾櫓・続多聞・楠門・大手門 復元=紅葉渓庭園・蔦魚閣
国指定 史跡
攻城年月日 2006/7/29


【歴   史】
天正13年(1585)豊臣秀吉が雑賀衆・根来衆を代表とした抵抗勢力を平定した後、弟の秀長に大和・和泉・紀伊の3国を与え、小丘<吹上の峰>に秀吉自らが縄張をして築城した。この小丘が虎が伏したように見えるところから「虎伏城」「伏虎山城」ともいわれる。
秀長の居城は大和郡山城なので重臣桑山重晴を城代とした。同19年秀長が亡くなると家老の藤堂高虎を後見役として甥の秀保があとを継いだが、桑山氏は城代として和歌山城に残ることになった。
慶長5年関ヶ原合戦の戦功により浅野幸長が37万余石で入城。元和5年(1619)広島(広島城)へ移封。
徳川家康の10子頼宣が55万余石で入城。ここに徳川御三家の紀伊家が成立した。同7年には城の拡張・修復がなされ、以後14代250年在城。

photo:ばつまるさん


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