大和-郡山城
yamato-koriyama-castle
奈良県大和郡山市城内町

外堀/追手門跡/追手東隅櫓(左列) 天守台/多聞櫓/内堀(右列)


別名 犬伏城 築城年代 明応年間(1492-1500)
縄張・種別 ---/平山城 築城者 小田切氏
遺構 掘・石塁・土塁etc...
復原 復興=櫓・櫓門
国指定 ---
攻城年月日 2006/6/14


【歴   史】
明応年間、土豪の小田切氏により築城された。4代にわたり居城とする。
天正8年(1580)、筒井順慶は長年の宿敵である松永久秀を破り大和を統一すると、修理・改築を行い入城。
天正13年、順慶亡き後、豊臣秀吉の弟羽柴秀長(大和・紀伊・和泉で合わせて100万石)が入城し、大規模な工事で近代城郭を築いた。同19年に秀長が没すると養子の秀保が継いだが文禄4年に夭折したので増田長盛が入った。しかし長盛は関ヶ原合戦で西軍に味方したので改易となる。
一時廃城となっていたが軍事上の重要性を感じた幕府は城を修理。「番城」となり大久保長保が城番となった。元和元年には水野勝成が入封。大坂の陣で戦火を受けた。松平(奥平)忠明、本多政勝(徳川四天王のひとり本多忠勝二男の子)、松平(藤井)信之、本多忠平と幾度も城主が変わり、享保9年(1724)甲斐甲府城から柳沢吉里が入り、以後6代146年在城。

photo:ばつまるさん


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