別名 |
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粉蝶城 |
築城年代 |
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文永元年(1264) |
縄張・種別 |
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梯郭式/平山城 |
築城者 |
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関実忠 |
遺構 |
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多聞櫓・石垣・堀・土塁 |
復原 |
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模擬=塀 |
国指定 |
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攻城年月日 |
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2011/吉日 |
【構 え/歴 史】
文永2年(1265)若山(現:亀山市若山町)に関実忠が最初に築城。「亀山古城」と呼ばれる。元亀4年(1573)織田信長により関盛信が追放されるまで、関氏16代の居城であった。ただし、関氏時代のうちに現在の位置に遷されたとされ、調査により戦国時代末頃の空堀が確認されている。
天正18年(1590)岡本宗憲が入城後、新たに築城したとされ、「九々五集」に本丸・二之丸・三之丸がらなり、天守も建てられたと記される。宗憲は関ヶ原合戦で西軍につき、山岡景友の説得で城を明渡し、桑名で自刃。
また、三宅氏が城主のとき、丹波亀山城の天守を解体するように命じられた堀尾忠晴が、間違えて伊勢亀山城の天守を取り壊してしまったとの話が伝えられる。真偽のほどは定かではない。←本当だと思う(あられ)
寛永13年(1636)本多俊次が城主になると亀山城の大改修に着手し、東西700M、南北500Mに及ぶ縄張りが確定する。城の外周は堀がめぐり、一部は谷をせき止めて水堀とした。城内には本丸・二之丸・三之丸・西之丸・西出丸の曲輪があり、本丸には将軍旅館として整備された本丸御殿、二之丸には城主居館と藩庁を兼ねた二之丸御殿が設けられた。
城主はめまぐるしく8家入れ替わったが、延享元年(1744)石川総慶が城主になると、以後は石川家11代、126年在城。明治維新を迎える。
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