丹波-亀山城
tanba-kameyama-castle
京都府亀岡市荒塚町内丸

本丸高石垣/現在は通路になっている二の丸と三の丸を隔てる堀跡/昔に積まれた石垣の下部(左列)
本丸天守台入口※現在は立ち入り禁止/紋の入った大名からの献上石/修復された石垣上部(右列)


別名 --- 築城年代 天正5年(1577)
縄張・種別 ---/平山城 築城者 明智光秀
遺構 石垣・堀
復原 ---
国指定 ---
攻城年月日 2005/12/中旬吉日


【構   え/歴   史】
室町時代、内藤氏が八木城の支城として亀山砦を築いたのがはじまり。※八木城-京都府船井郡八木町
明智光秀が攻略し、天正5年から7年にかけて改修・拡張した。のち、羽柴秀勝、天正19年(1591)には小早川秀秋が入城。慶長15年(1610)、岡部長盛のとき、天下普請により城郭と城下町の大改修を行なった。
その後、たびたび城主が替わり、寛延元年(1748)、松平信岑が入封。以後、松平氏が8代122年在城。
天正10年(1582)、織田信長に中国出兵を命じられた光秀は、軍備を整え5月17日に坂本城を出て、26日亀山城に移り、翌日愛宕山に詣で、6月1日亀山城を発し本能寺へ向かったのだ。

【攻城記】
極寒フライトの後、亀岡城を攻めに行きました。
城跡は現在、宗教団体「大本」の神社になっていて、おはらいを受けてからでないと内に入れません。おはらいしてくれた方が色々と親切に教えてくれました。
本丸部分は宗教の聖地になっているそうで残念ながら立入り禁止です。

photo:にゃごりんさん


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