八代城 yatsushiro-castle 熊本県八代市松江城町

東門/小天守跡/廊下橋跡(左列)
石垣と堀/大天守跡(右列


別名 松江城・白鷺城 築城年代 元和8年(1622)
縄張・種別 ---/平城 築城者 加藤正方
遺構 天守台・石垣・堀
復原 ---
国指定 ---
攻城年月日 2004/2/19


【歴   史】
天正16年(1588)宇土城を本拠とする小西行長の家臣が築いた「麦島城」が前身。
関ヶ原合戦で西軍についた行長が改易されると、加藤清正の領地となり、元和元年(1615)の”一国一城令”では異例として熊本城・麦島城が存続を許された。
元和5年(1619)3月の地震で城が倒壊すると、新たに「八代城」が建設され、同8年(1622)清正・忠広父子に仕えた重臣の加藤正方が築き城代となる。
寛永9年(1632)忠広は領内を上手く治められないという罪により改易となるが、その他にも大坂の陣のおり豊臣家と内通していたのでは?とう幕府に疑われたという説もあり。正方は浪人となり京に出て俳句や連歌に精進したという。
加藤家改易後、熊本城には小倉城から細川忠利が、この八代城には中津城から忠利の父・忠興が入城。
正保3年(1646)細川家家老・松井興長が城主となり、幕府からも城主格とされ(上杉家の家老・直江兼続と同じね)代々この地を治め明治維新を迎えた。

【攻城記】
一国一城令のせいで本丸付近の掘りと石垣と武家屋敷の石垣以外残ってなく、戦国期の城としては平面的な印象を与える郭配置ですが、実際は水堀を複雑に配置した平城だった様です。
天守閣は大天守と小天守による複合構造で、天守閣に到るには大天守の下からくぐって小天守に入り、廊下的な続櫓を通って大天守に到ると言う面倒な構造でした。

photo:ばつまるさん


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