障子ヶ岳城
syoujigatake-castle
福岡県京都郡みやこ町勝山松田

北の丸/馬場跡(左列) 堀切/障子ヶ岳より香春岳を望む(右列)


攻城年月日
2012/吉日


【歴   史】※案内板より
この城は障子ヶ岳(標高427メートル)の山頂一帯に広がる中世の山城跡で、曲輪(=陣地)や堀切(=空堀)といった当時の遺造物の残り具合がよいことから平成21年(2009)11月、みやこ町の史跡に指定された。
障子ヶ岳城は田川・京都郡境にあって田河道・秋月道等の要路をおさえる位置にあることから、豊前地方における重要な山城の一つとされ、近くにある大規模山城香春岳城(香春町)支城とも云われている。城の歴史は江戸時代に編まれた「豊前古城記」によれば建武3年(1336)、足利尊氏の命を受けた一族の武将・統氏の築城によって始まるとされているが定かではない。しかし、その後についてはわずかに残る同時代史料から15−16世紀にかけ、門司氏や宇佐郡衆といった室町期大名・大内氏や大友氏の家臣が城番を勤め、関連する戦乱の舞台となったことが確認されている。
天正14年(1586)、豊臣秀吉の九州攻伐にともない落城してのちは廃城・山林化してしまった。


memo
地元の人により雑木の伐採や下草刈りと言った手入れのお陰で、400mを超える山頂の山城でありながら曲輪の様子が一目で分かる城跡。
山頂から一の岳が消失した香春岳の様子が間近に見る事が出来ます。

photo:ばつまるさん


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