別名 |
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狛山城 |
築城年代 |
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文明年間(1469-87)? |
縄張・種別 |
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---/平山城 |
築城者 |
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伊東祐尭 |
遺構 |
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本丸跡・石垣・濠etc... |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2012/吉日 |
【歴 史】
築城年代は一説に文明年間(1496-87)といわれる。中世の頃日向国一帯を支配していた伊東氏の城であった。天正年間(1573-92)には伊東氏の臣従である米良四郎右衛門が城主となっていた。天正6年、右衛門は大友氏と島津氏の紛争「高城の戦」で戦死。その後は島津氏がこの地を支配したようだ。城主は藤原祐盛。
天正15年豊臣秀吉の九州統一により、門川一帯は延岡領(延岡城)となる。元和元年(1615)徳川幕府の一国一城令により廃城。
【構 え】
城の形態は中世式の平山城で、丘頂上に四方約28Mの曲輪本丸があり、城主の居館が置かれていた。そこから西南側に一段低く二の丸があり、空濠をめぐらせて厳重に敵の侵入を防いでいた。
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