別名 |
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築城年代 |
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戦国時代 |
縄張・種別 |
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---/山城 |
築城者 |
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高橋鑑種(あきたね) |
遺構 |
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土塁・堀切跡 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2004/8/3 |
【歴 史】
戦国時代、宝満城の支城として豊後の大友氏の武将高橋鑑種により築かれた。
やがて鑑種は主家大友宗麟に叛き、城を追われ、代って吉弘鎮理(後の高橋紹運)が城主となった。
天正14年(1586)紹運は九州制覇をめざす島津氏5万の大軍を迎え撃ち、10日余りの激戦の末、豊臣秀吉の援軍到着前に玉砕。
【攻城記】
古代大野城の一部を利用して造られた岩屋城、以前より想像していたよりも狭く、本丸でもテニスコート分程度しかありません。こんな小さな城でよくも薩軍5万の攻撃に耐えたものです。
岩屋城跡の見晴らしはよく、小弐氏の有智山城跡や息子の高橋統増に譲った宝満山城跡に建設中の国立博物館、岩屋城と峰続きの大野城跡と大城山の裾野から続く水城跡と眺望は抜群です
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