船匿城 funakakushi-castle 長崎県壱岐市芦辺町

谷汲観音(左) 全景(右)


攻城年月日
2005/5/5


【歴   史】
文永14年(1274)の「文永の役」に続き、弘安4年(1281)5月末から6月にかけて再び元が襲ってきた。これが「弘安の役」だ。
今回は壱岐でも船匿城のあるこの芦辺一帯が激戦区となった。守護代の小弐資時が100余騎で応戦したが敗北、19歳の守護代は戦死した。

元寇を参照

【攻城記】
壱岐・小弐氏の居城があった船匿城は現在私有地になってるせいか、城山へ直接登る事は出来ません。その背後に峰続きで牧場となった同規模の小山があります。
現在牧場となってる小山は城山から距離にして100mと離れてなく、城があった当時船匿城は入江の突端にある城で、城の直下にはその名の通り船を隠す事が出来たそうなので、船匿城の入り口を抑える出丸等あったかも。実際入ってみるとそれらしき地形が・・・。ちなみにこの山の牧草地には野生の雉(♂)がいました。

photo:ばつまるさん


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