筑前松尾城
chikuzen_matsuo-castle
福岡県朝倉郡東峰村

本丸虎口/櫓台跡(左列) 本丸犬走/三連堀切(右列)


攻城年月日
2012/吉日


【歴   史】※案内板より
戦国時代、秋月氏の家臣であったと考えられる宝珠山山城守の居城と伝えられているている。慶長5年(1600)黒田長政が関ヶ原の戦いの功により、豊前中津(中津城)から筑前に入国し、慶長6年には、領内に6つの端城を設けた。松尾城は中間統胤が城主となる。
その後、松尾城は元和元年(1615)、幕府の一国一城令により取り壊された。
主郭部は、2段に造成され、石垣や土塁で周りを囲ってあり、下段の西側には、幅4Mほどの虎口(出入口)がある。主郭内には、3間×5間(2棟)と1間×1間(1棟)の礎石建物跡や、東部には櫓台がある。主郭北側斜面には畝状竪堀13本、東側の尾根には堀切が3本造られて、中世と近世の城郭を持つ山城である。


※ばつまるさんの説明
黒田六端城の1つで、小さな城ながら3連の堀切や、畝状竪堀群となかなか凝った構えをしております。
居館があったとされる二ノ丸跡には、廃校となった小石原小学校跡。
冬に国道500号線を通った時にあった道路脇の城跡入り口を示す案内板が倒れてたのは。(T_T)

photo:ばつまるさん


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