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五所神社  来迎寺  光明寺

五所神社 [gosho-jinjya]
材木座の氏神。
境内には感応寺にあったといわれる「板碑」が専用の建物(厨子?)の中に厳重に保管されていて、国の重要美術品に指定されている。

※板碑は今回神社の方がお留守で隙間からそっと覗いただけでした。
鎌倉市材木座2-9-1【2005/7/5】

来迎寺 [raiko-ji]
来迎寺はここ材木座と北方の西御門と2つある。
こちらの来迎寺はかつて真言宗・能蔵寺といい、源頼朝が鎌倉幕府の礎となった三浦大輔義明と多々良三郎重春を弔った。三浦大輔義明は衣笠城主で建久5年(1194)頼朝旗上げの際に加勢して籠城、平家方の畠山重忠と戦い89歳で討ち死。多々良三郎重春(義明の孫)は石橋山合戦に敗れ、三浦へ引き返す途中に由比ガ浜で畠山軍と戦い17歳の若さで戦死した。おそらく頼朝が亡くなった後、現在の「時宗」に改宗したと思われる。
鎌倉市材木座2-9-19【2005/7/5】

光明寺 [komyo-ji]
創立は鎌倉時代の寛元元年(1243)、石見国(島根県)出身で浄土宗三祖然阿義忠上人が北条執権第四代経時の帰依を受けて寺を開いた。かつては浄土宗の関東総本山であり、後に関東18壇林の筆頭となり、念仏信仰と仏教研鑽の根本道場だった。壇林とは徳川幕府が定めた学問所のこと。
寺の前の海にある材木座和賀江島築堤(干潮時には当時積み上げられた丸い石が顔を出す)の痕跡は海から鎌倉に入る湊の跡で、急速に都市化した幕府開創当時にはおびただしい量の物資が陸揚げされたところで、「材木座」の名は建築木材の集積地だったことから呼ばれたようだ。船が湊に着くと目の前に広壮な山門が聳え立つという堂々たる姿の寺である。

山門・三尊五祖の庭-右列-/大殿・記主庭園-左列-
鎌倉市材木座6-17-19【2005/7/5】

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