菅谷館 sugaya-yakata |
埼玉県比企郡嵐山町菅谷 |
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二ノ郭への入口にある城址の碑/正てん門と木橋は西ノ郭より三ノ郭の側が1m高い/出枡形土塁(左列)
蔀(shitomi)土塁は西ノ郭から三ノ郭を見通せない工夫/本郭は戦国期に拡張される前の館跡と推察される
/都幾(toki)川の水を引いた外堀(右列) |
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別名 |
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築城年代 |
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平安初期−鎌倉末期 |
縄張・種別 |
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---/中世の平城 |
築城者 |
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畠山重忠 |
遺構 |
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郭跡・土塁・空堀 etc |
復原 |
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国指定 |
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史跡 |
攻城年月日 |
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2004/8/30 |
【構 え】
槻(tsuki)川と都幾川の合流点に近い松山台地の最奥部、南は都幾川の急な崖と、他の方面は浸蝕谷が重なりあうという天然の要害。
面積は≒122,000uだが、畠山重忠が築いたころは規模も小さく本郭辺りだけで、中世から戦国時代にかけて拡張されたという。
【歴 史】
平安初期−鎌倉末期に畠山重忠が築き居館とした。
元久2年(1205)武蔵二俣川の合戦の際、重忠が「菅谷館」から出発したと鎌倉幕府の正史「吾妻鏡(azumakagami)」に記されている。
その後、室町時代の漢詩文集「梅花無尽蔵」には、長享2年(1488)に山内・扇谷の両上杉氏がこの「須賀谷原」で戦い、戦死者や倒れた馬の頭数を伝えている。
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photo:あられ |
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