別名 |
|
--- |
築城年代 |
|
貞治5年(1366) |
縄張・種別 |
|
---/平山城(丘城) |
築城者 |
|
吉良治家 |
遺構 |
|
空堀・土塁 |
復原 |
|
--- |
国指定 |
|
--- |
攻城年月日 |
|
2005/4/吉日 |
【構 え/歴 史】
武蔵野台地の一角、南東に張り出した舌状台地の先端部に立地し、西・南・東の三面に鳥山川が蛇行し、北には小支谷が入る。14世紀後半に吉良治家が居住したのにはじまる。
吉良氏は清和源氏・足利氏の支族で、世田谷吉良氏はその庶流にあたる。はじめ鎌倉公方に仕え、15世紀後半に関東が乱れると関東管領・上杉氏やその家宰・太田道灌に与力し、16世紀には北条氏と結んだ。北条氏と上杉氏との勢力争いで、享禄3年(1530)に城は攻略されたと伝えるが、のち吉良氏の手に復した。この間、吉良氏は北条氏と婚姻関係を結び、その庇護下にあったが、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻略により廃城となった。
堀・土塁の構造は天文6年(1537)の再築とされる深大寺城と類似しており、16世紀前半に防御の為、大改修がなされたことが窺える。
|
|