| 佐倉城 sakura-castle |
千葉県佐倉市城内町 |
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深くて幅広い空濠/本丸跡/出丸跡の土塁/武家屋敷・旧但馬家住宅の門(左列)
天守台跡/一の門跡/城内にある姥が池/旧但馬家住宅の座敷と玄関(右列) |
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一の門跡
本丸から一番最初の門、「一の御門」。本瓦葺・二階造り、梁間4間・桁行8間。
本丸跡
天守・銅櫓・角櫓・御殿が置かれ、御殿の前庭には金粉をすり込んだ栗石が敷かれていたという。
銅櫓は土井利勝が将軍から拝領し、江戸城吹上庭内より移築したもので、太田道灌が造ったものといわれる。
銅瓦葺・6間四方・二階造り。
武家屋敷
慶長〜元和年間(1596〜1623)初代佐倉城主・土井利勝が鹿島台に築城し東方に城下を置いた。武家屋敷は城内および城外の地元で尾余(びょう)と呼ぶ台地の先端部に屋敷割がされた。
見学できる武家屋敷(旧河原家住宅・旧但馬家住宅・旧武居家住宅)がある通りは「宮小路(旧鏑木小路)」という。
通りに面したところに土手を築き、その上に生け垣をめぐらせる造りは、馬上から屋敷を覗かれないための工夫。屋敷内には小さな畑があり後ろは急な崖となっている。
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| 別名 |
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鹿島山城 |
築城年代 |
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慶長16年(1611) |
| 縄張・種別 |
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---/平山城 |
築城者 |
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土井利勝 |
| 遺構 |
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曲輪跡・堀・土塁 etc |
| 復原 |
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| 国指定 |
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| 攻城年月日 |
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2003/10/19 |
【歴 史】
戦国時代の中ごろ、千葉氏一族・鹿島幹胤(みきたね)により築かれたという。
その経緯は、治承4年(1180)源頼朝による平家打倒の旗揚げに協力した千葉氏は、鎌倉幕府有数の御家人として房総半島一帯に君臨していたが、戦国時代になると、相模の後北条や安房の里見氏といった新興勢力に押され、支配力が衰退してきた。
康正元年(1455)千葉氏は大治元年(1126)以降、本拠としていた千葉城(亥鼻城・千葉市)を失い、佐倉城(本佐倉城・印旛郡酒々井町)へ逃れた。
天正18年(1590)豊臣秀吉により千葉氏は取り潰され、城も廃城となる。
慶長16年(1611)徳川家康の命により土井利勝が7年をついやし完成した。
※千葉氏の城とは4kmほど離れている。
寛永10年(1633)土井氏が古河へ転封すると、石川・松平といった老中格の譜代諸侯の城となる。
同19年堀田正盛が城主となり、名君として民百姓にも人気があり安定した政治をおこなったが、正盛の死後、家督を次いだ正信は幕府の政治を批判した罪で万治3年(1660)改易処分となる。
その後も譜代大名が城主となるが、延享3年(1746)山形から堀田氏が移封され、6代126年間11万石を領し明治維新に至る。
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| photo:あられ |
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