別名 |
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北条山城・宝蔵寺城 |
築城年代 |
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縄張・種別 |
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---/山城(海城) |
築城者 |
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三浦氏 |
遺構 |
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堀・土塁 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2004/10/16 |
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【構 え/歴 史】
このあたり一帯は城山といい古城の跡。
三崎城は海にのぞみ丘陵に地の利を得、土塁、空掘をいく重にも組み合せた中世の山城、築城の年月は不祥であるが永正2年(1518)7月11日北条早雲に敗れた義同が新井城(油壺)に亡ぶとき、三崎城もまた落城した。
その際囲みを破った城兵は城ケ島に逃れなお抵抗をつづけたという。
その頃、三浦氏は戦国の風雲に乗じ相模一円に領域を拡げていったが、三崎城は三浦一族累代の居城新井城の背後をまもる重要な支城であるとともに水軍の根拠地でもあったといわれている。 落城後、北条氏はこの城に5代にわたり兵を置いたことからいまに北条の地名が残っている。
しかし天正18年(1590)豊臣秀吉に攻められ小田原北条氏の滅亡にともない三崎城は廃城となった。 |
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