松山陣屋跡
matsuyama-jimya
埼玉県東松山市松葉町 1-1-58


取材日
2005/4/25


【歴   史】
慶応3年(1867)1月風雲急を告げる幕末、川越城主松平大和守直克は、念願の再建なった上野国(群馬県)前橋城に移封を命じられた。
このとき、松山を中心とする村々3万石余が、同前橋藩の飛び地として残され、この松葉町に「前橋藩松山陣屋」が置かれた。
小川道を境に南と北に築かれ、土塁・空掘とうを備えた立派なもので「陣屋」というより「支城」といった性格のものだったと考えられる。
同陣屋付の士族(藩士)は258名で、当時のこの地方の推定人口1600名と比較すると、その家族も含めかなりの人口増をみたといえる。
また同市及び付近の町村には古墳や遺跡も多く残る。

右下の写真は、同市内にある「森田家長屋門」。

photo:あられ


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