藤沢城 fujisawa-castle |
茨城県新治郡新治村藤沢 |
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城の入口/土塁1(左列) 藤原藤房卿の遺跡/土塁2(右列) |
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藤原藤房卿遺跡
後醍醐天皇の側近であった藤房(1295-1380?)は、倒幕計画に主要な役割を果た。元弘の乱(1331)の謀議が漏れると、天皇を奉じて笠置山に逃げたが捕らえられ、翌年に北条高時により常陸国へ流され、八田(小田)治久に預けられた。
元弘3年(1333)建武の新政の成立で藤房は京へ帰り、恩賞万頭人となるが、行賞の不公正など新政の非を天皇に直諫して受け入れられず、絶望して翌年失跡したという。
この遺跡は「頭髪塚」とも呼ばれ、藤房の髪を切ってうめたと伝えられる。
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別名 |
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築城年代 |
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南北朝(1336-92) |
縄張・種別 |
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築城者 |
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小田氏 |
遺構 |
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曲輪跡・空堀・土塁 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2005/10/吉日 |
【歴 史】
小田城の支城。
※詳細は調査中です。
【攻城記】
藤沢城跡は案内板も朽ち果てなんの手がかりもありません。既に廃線になった筑波鉄道の常陸藤沢駅前にあるヤマザキ商店で道順を聞かないとまず見つかりません。
藤沢駅前から小高い丘に登り、わずかに土塁が確認できました。
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photo:SPOOKさん |
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