別名 |
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築城年代 |
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縄張・種別 |
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---/山城 |
築城者 |
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井出長門守 |
遺構 |
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本丸跡 etc... |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2004/8/14 |
【歴 史】
佐久地方の支配者・伴野氏の臣の井出長門守が築いたとも、北信濃に勢力があった村上氏が甲斐国の武田氏に侵攻に備えるために築いたともいう。
戦国時代になり伴野氏(伴野氏館)の勢力が衰えると、各地で領土争いが始まり、武将たちは戦に明け暮れるなか盛んに山城が造られた。
天文9年(1540)正月、村上氏の将である薬師寺右近らが城を守っていたとき、武田の重臣・板垣信方の知略により城が奪われ、これを武田方の小山田備中守昌行が本丸、二の丸、三の丸もそれぞれ名のある武将が守っていた。
同年12月に海尻の地侍が一揆を起こし、村上氏にこころを寄せ城を包囲したが、本丸の守りは堅固で武田の援軍が到着するまでに落とせず、無念にも村上軍は退却、「海尻の合戦」という。
武田信虎はこの城を拠点に佐久に攻め入り多くの城を陥落させた。
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