| 別名 |
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伴野城 |
築城年代 |
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鎌倉時代 |
| 縄張・種別 |
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---/平城 |
築城者 |
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伴野氏 |
| 遺構 |
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石垣・堀・土塁 |
| 復原 |
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| 国指定 |
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| 攻城年月日 |
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2004/3/14 |
【構 え】
後の野沢城(伴野館が拡張され野沢城と称される)の本丸にあたるところといわれ、東西74m〜85m・南北20mの長方形。
周囲に用水路(堀?)をめぐらせ、その内側にそって西・北・東側が土塁で囲まれ、南の中央には入口、西南の高台には物見櫓があったと推察される。
【歴 史】
室町から戦国時代にかけて伴野氏がこの館を本丸として、二の丸・三の丸・出丸とうを設け、徐々に拡大していった。
鎌倉時代、「霜月騒動」といわれる鎌倉幕府の内乱に巻き込まれ、伴野本家は滅びたが支族によって再興される。
室町時代、防衛のため詰の城として、蓼科山の東北山麓突端に前山城を築き本拠地を移す。
天正11年(1583)北佐久・小県に勢力をもつ芦田(依田)信蕃(のぶしげ)に前山城ともども攻略されたが、かろうじて旧館址(本丸)は残った。
江戸時代は官庫・陣屋・岩村田藩(佐久市岩村田)出張所とう官公地として利用された。
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