大垣城 oogaki-castle |
岐阜県大垣市郭町 |
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天守の内部は資料館/本丸の石垣は笑積み工法(左列) 西門と高塀/江戸時代初期 寛永15年頃の絵図(右列) |
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別名 |
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巨鹿(きょろく)城 |
築城年代 |
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天文4年(1535) |
縄張・種別 |
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並郭式/平城 |
築城者 |
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宮川安定 |
遺構 |
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石垣 |
復原 |
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復元=天守・西門 |
国指定 |
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攻城年月日 |
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【歴 史】
天文4年(1535)宮川安定が美濃のマムシ斉藤道三の命により築城。
この頃大垣は水が豊富で河川を利用した平城であった。その後、織田信秀と斉藤道三の間で城の奪い合いとなる。さらに、関ヶ原合戦までは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が家臣を置いてその間22代も城主が変わった。
関ケ原の合戦ではこの城が西美濃の要害であったため、石田三成が本拠地として使用した。 |
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寛永12年(1635)戸田氏鉄は10万石で入封し、11代続いて明治維新をむかえた。
廃藩置県で濠はすべて埋められた。大垣公園として城郭建築を残したが第2次世界大戦で被災した。
「湖中の城のごとし」とゆわれた時代の面影はないが、大垣市は”水の都”と称する。
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photo:シリウスさん
photo:Solidさん(文中) |
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