野田城 noda-castle 愛知県新城市豊島字本城

城址の碑/本丸跡(左列) 二の丸跡/空堀跡(右列)


攻城年月日
2011/吉日


【構   え/歴   史】※案内板より
永正5年(1508)に築城されたと伝えられる。菅沼定則・定村・定盈とうが居城とした。
城郭は南北に長く、北から三の丸・二の丸・本丸と続く「連立式」の山城。東西は谷となっており、当時は自然の川をせき止めて堀を形成していた。
戦国時代、今川・武田・徳川などにより、幾度も争奪戦が繰り返され、天正18年に定盈が関東へ移封されるまで続いた。

【野田の戦】
元亀4年(1573)1月、上洛をねらう武田信玄は、宇利峠を越えて三河に侵入してきた。菅沼定盈の守るこの野田城を攻撃するためであった。小城ではあるが、備えが固くなかなか攻め落とせない。そこで信玄は、甲州の金堀人足を使って水脈を切り、城内の水を枯らしてしまった。
定盈は、徳川家康の援軍が来ないので、城の運命もこれまでと判断し、城を明け渡したという。
この野田城攻めの折、信玄は、毎夜城内から流れてくる見事な笛の音に聴きほれて、城の近くまで出向いた。そこを鉄砲で撃たれ負傷し、その傷が元でまもなく亡くなったと伝えられる。

photo:ばつまるさん


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