金沢城 kanazawa-castle 石川県金沢市丸ノ内





二の丸
写真左より、橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓。
石川門菱櫓
金沢城の裏門(搦手門)。
屋根は白銀色の鉛瓦でできているので、いざ合戦の際には弾丸として使えるのだ。
橋のかかる堀は「百間堀」。
石川門菱櫓は二の門より撮影
二の丸菱櫓
到着櫓ともいい、海鼠(なまこ)が美しい。







別名 尾山城・金沢御堂 築城年代 天文8年(1580)
縄張・種別 ---/平山城 築城者 佐久間盛政
遺構 三十間長屋・石川門・大手掘
復原 ---
国指定 名勝=兼六園 重文=石川門(8件)・三十間長屋
攻城年月日 2002/10/吉日


【歴   史】
加賀一向一揆の拠点「金沢御堂」があったところ。
戦国時代の≒100年間、この地は一向一揆衆に支配されていた。一向一揆とは、本願寺派門徒集団の自立的な組織であったが、後に内部分裂し石山本願寺の統制が深く浸透、加賀派門徒の領国から本願寺の領国へと変化していった。
天正元年(1573)、織田信長による北陸進攻と一向一揆征伐の長い戦いが始まった。
天正8年、激しい戦いの末「金沢御堂」は陥落し、信長軍の佐久間盛政が御堂を拡張、尾山城として居城にした。
天正11年、盛政が柴田勝家に与力し滅びると、前田利家の所領となり、利長による関ヶ原合戦の功により、加・越・能の3ケ国を支配することとなった。

城址は名勝「兼六園」となっている。

【資   料】
-辰巳上水について-

寛永9年(1632)、用水は防衛と防火の備えとして造られた。
設計工事主任...板屋兵四郎。(小松在住の町人)
水源...犀川上流≒10kmの辰巳村から水を引いた。
堀...百間堀(当時は空堀)はじめ4つの堀が万々の水で満たされた。
ここで注目は伏越(ふせこし)工法!
逆サイフォンともゆわれる方法で、4km余りを導水トンネルで通しさらに高い位置(金沢城)へ揚げるとゆうもの。
現在の兼六園霞ケ池から11.4m下がって8m上がるとゆう総延長640mにも及ぶもの。
木管から石管に代ったものの、現在でも兼六園の日本最古とゆわれる噴水に使われている。

photo:シリウスさん


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