別名 |
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曳馬(ひくま)城 |
築城年代 |
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元亀元年(1570) |
縄張・種別 |
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---/平山城 |
築城者 |
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徳川家康 |
遺構 |
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石垣 |
復原 |
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復興=天守 |
国指定 |
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攻城年月日 |
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2003/12/14 |
【構 え】
城は現在の浜松市中心部である天竜川の右岸、三方ヶ原台地の東南端に築かれた。
南北≒500m・東西≒450mにわたる広大な敷地に、本丸・天守曲輪・二の丸・三の丸・出丸とうの曲輪を配す。
【歴 史】
もともと規模は不明だが曳馬城という城があり、創築者については久野越中守ほか諸説がある。
永禄11年(1568)遠江(とおとうみ)を手中に収めた徳川家康がこの地に入り、小さかった曳馬城の縄張りをひろげ、堅固な軍事要塞を築き、元亀元年(1570)に岡崎より居城を移した。
元亀3年(1573)には武田信玄との三方ヶ原合戦で大敗を喫し城門まで攻め込また。
天正14年(1586)家康が駿府城へ移るまでの間に徳川の本拠地として、
姉川合戦(元亀元年=1570/織田・徳川連合軍Vs浅井・朝倉連合軍)
長篠合戦(天正3年=1575/織田・徳川連合軍Vs武田勝頼)
小牧・長久手合戦(天正12年=1584/徳川・織田信雄連合軍Vs羽柴秀吉)
と大きな戦(いくさ)を戦い抜いたことでも知られる。
その後、豊臣秀吉により家康が関東江戸城へ移封されると、東海道のおさえとしてさらに重視され、譜代大名や親藩大名が城代を勤めた。特に老中といった重職に任ぜられる大名(水野忠邦とう)も多く井上氏で明治維新を迎えた。
天下を取った徳川の浜松城は「出世城」とも呼ばれる。
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