別名 |
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蜷原城−ninahara |
築城年代 |
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文亀年間(1501-03) |
縄張・種別 |
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連格式/山城 |
築城者 |
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二俣昌長 |
遺構 |
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石垣・土塁・堀 |
復原 |
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井戸櫓 |
国指定 |
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攻城年月日 |
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2011/吉日 |
【構 え】 天竜川と二俣川の合流点の台地上、標高90mに位置する。
【歴 史】
文亀年間(1501-03)、二俣昌長が築城したという。創築時期は不明という説もある。
永正年間(1504-1520)今川氏の支城となり、二俣氏が10年居城。松井信薫の城となり、4代50数年在城。徳川家康が攻略。中根正照を城主とする。元亀3年(1572)三方ヶ原合戦の前には、武田軍が天竜川に筏を流して井戸櫓を壊し、水の手を絶って落城させている。間もなく徳川軍が奪回し、家臣の大久保忠世が城主となって城を整備した。
天正7年(1579)家康の長男・信康が武田氏に内通したとして、この城で切腹した。天正18年(1590)家康の関東移封にともない廃城となる。
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